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1954年3月9日、ブラジル西部の田舎町・ポルトベーリョでゴーン氏は生まれました。クラクションの音で車種を当てることが出来るほど車好きだったというゴーン少年が経営の道を歩み始めたのは、大学卒業後、フランスの大手タイヤメーカー・ミシュランへ入社した24歳の時。製造部門に配属されたゴーン氏は、新入社員でありながら工場の従業員たちと会話をすることで問題点を浮き彫りにし、製造工程の合理化を上司に訴え、実現していったのです。そんなゴーン氏の行動力が認められ、彼は26歳という若さで工場長に就任しました。
1985年、30歳になったゴーン氏は、故郷であるブラジルのブラジル・ミシュラン社長に大抜擢されました。しかし当時のブラジルはインフレ率が1000%を超え、ブラジル・ミシュランも膨大な赤字を出し、まさに閉鎖寸前だったのです。しかしゴーン氏は、たった1年で黒字に転換、3年後には100社以上にも上るグループ会社の中で最も売り上げ利益を上げている子会社として再生。その後、北米ミシュランも同様に再生させたゴーン氏は、その手腕を買われ、42歳の時にヘッドハンティングされました。ゴーン氏を見初めたのは、フランスの自動車メーカー『ルノー』でした。
当時、ルノーは、アメリカ進出とボルボとの提携というふたつの国際的戦略に失敗し、グローバル化に出遅れたヨーロッパの落ちこぼれメーカーでした。しかし、子供の頃から車好きだったゴーンにとって、自動車メーカーは憧れの存在だったため、ふたつ返事でルノーのオファーを快諾。そのルノーで、ゴーン氏は社運を賭けた極秘プロジェクトを任せられる事になりました。そのプロジェクトとは『日産との資本提携』。幾多の失敗を繰り返し、もう後がないとまで言われたルノーにとって日産との提携は、国際競争に生き残る生命線だと考えられていました。しかし、その当時の日産も実はルノー同様瀕死の状態にあったのです。

続き  http://www.tv-asahi.co.jp/ss/193/special/top.html
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